いのちと戦い25年 |
|
私は、障害を持たれた方々の生活をサポートし、同じ箸で同じものを食べ、生活を共有しています。その弱い立場の障害者の方々は、私にとってかけがえの無い仲間であり、家族であります。光生会での生活の場が終の棲家となるであろう車椅子の家族は、これまで私たちの想像を絶するすさまじい人生を送ってこられました。生きていく全てを人の介護に頼らなければならないこの家族の幸せ、喜びある人生を考えた時、果たして、健康に配慮された最高の食、臭いの無い住まい、清潔な身だしなみだけで満足してくれるだろうか。
私は、1995年障害を持たれた方々と法身の里 高野の山に登りました。何を求めて、目的は、介護をされながらも一生懸命に生きている、何も求めず黙ってやがて老いていく車椅子の家族と、私は一時たりとも離れることはできない。そして、これ以上この家族の障害が重くならないようにと、空海大師様に一心に「祈る」・・・その日より私は真言を学ぶ決心をしました。「生命に終わりのくることがない」ということを少しずつ悟る。「生かせいのち」を空海大師様が私に学ばせ、教えました。福祉の基礎学それは、この里にあったのです。 |
|
天長九年(832)八月二十二日、大師様は四恩に奉答するために、高野山で万燈会を修せられ、その願文「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば我が願いも尽きむ」と誓われたことはあまりにも有名で、これを知らぬ人はいない。この御誓願が後世、同行二人の大師信仰につらなっていくのであります。八〇四年に二十年の留学を期して入唐(中国長安)されましたが、二年の受法で帰国されたのは、師主 恵果阿闍梨の遺誨によってのことでありました。お大師様は入唐留学について「来ること我が力にあらず、帰らんこと我が志にあらず、我を招くに鉤をもってし、我を引くに策をもってす」と、師主
恵果和尚との深き宿縁について述べられ、その遺誨は、密教のありとしあるを全て余さず授け終わった今、その密蔵を東国の日本に流伝し、その教法によって「
蒼生の福(さいわい)」を増大せしめよと、密蔵の教法を「仏の心、国の鎮」とし、あらゆる災害を除き、人々の「祉」(さいわい)を意の侭に招くことのできるものとし、その「福祉」(さいわい)を人々にもたらすこと自体が、そのまま即一的に「凡を脱れ聖にいる虚徑」すなわち即身成仏の道とされる教えでありました。 |
|
「いのち」それは大きな宇宙の真理、大きな宇宙の生命の一部で、この世の生きとし生けるものの全てが共に大宇宙の生命によって生かされている尊い「いのち」であります。その宇宙に無駄な「いのち」は無く、空・風・火・水・地と私たちの心「識」の六大躰性(法界の躰性は常に結びついている)、「即身成仏」の大宇宙と小宇宙との不二一体の教えを学ぶことにより、車椅子の方々の心に深く宗教心を宿していただき、体は不自由であっても主体的に生活を送っていただき、自らの考え方、楽しみを自立させ、向上心を養って希望のある毎日を送っていただくことが私の願いです。 |
|
この度、永い念願でありました、高野での障害者交流施設が、総本山金剛峯寺、高野町役場、高野山大学の深いご理解と協力のおかげをもちまして、完成のはこびとなりました。
その運営は地域の方々の交流の場となるよう、頑張る覚悟です。
今まで以上のご指導をお願いいたします。 |
|
理事長 川口 道雄 |